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執筆者の写真Keiichi Kobayashi

ペニシリンの開発

ペニシリンの開発


18世紀末から病原菌が次々と発見されていく中、、本格的な抗生物質の開発はペニシリンでしょう。多少でも歴史をかじったことがある人ならペニシリンの開発者はアレキサンダー・フレミングと答えるでしょう。まあ、これも間違いではないのですが、実は ちょっと違います。


ある時、フレミングは細菌を培養している容器に青カビがついているのに気付きました。よく見ると青カビの周囲は細菌が生えておりません。青カビが出すなんかの物質が細菌の増殖を妨げているらしいのです。これをフレミングは論文で発表しましたが、特にこの件に関して詳しくは調べる事はしませんでした。この事象を詳しく研究したのはオーストラリア人のハワード.フローリーです。彼はオックスフォード大学医学部で研究しておりましたが、優れた研究者であるだけでなく、卓越した教育者、指導者でした。若い研究者が彼の人格を慕って研究室に入って来ました。研究のためには青カビが必要です。研究者たちはあちらこちらで良い青カビはないかと、探しました。果物市場で果物にカビが生え、ゴミ箱に捨ててあるのを見つけて大喜びで貰って来たりしたのです。研究者は人々から 相当変な人だと思われたでしょうね。


時代は第二次世界大戦の最中でした。ナチス•ドイツのイギリス上陸が真近に近づいているような状態で、研究者たちは皮のコートの内側に青カビを塗りたくって準備し、いざとなったらそのコートを着て北に逃げるつもりでした。


やがてペニシリンの生産の技術的な問題が解決し、量産大勢に入ろうとしたフローリーたちは、イギリス政府に資金を頼みましたが、イギリスはペニシリンの重要性を理解できず、協力を断りました。仕方なく、ローリーたちはアメリカ政府に協力を要請しました。アメリカはすぐにペニシリンの重要性に気付き、国家プロジェクトとして採用しております。 


ペニシリンの生産はアメリカに移されました。幸いな事にアメリカには青カビが大好きなものが豊富にありました。メープル・シロップです。メープル・シロップを使うと青カビが嘘のように増殖したのです。青カビを増やすためには シロップにカビを入れて撹拌しなければなりません。ある企業がその仕事を担当しました。ファウンテン・ジュースを売っていたジュース屋さんでした。名前をPfizorと言います。そうです。現在大手の製薬会社となっているPfizor 製薬です。

こうしてアメリカ政府はノルマンディー上陸作戦の為、準備しました。兵隊は20−30万人全員自分が使うペニシリンを携行していたのです。

ペニシリンはグラム単位で金より高価でしたが、おかげで、兵隊は傷で敗血症で死ぬ人間は激減しました。


ペニシリンは戦後、イギリス元首相チャーチルの肺炎の治療に使われ、劇的に治癒しました。この事に世界中が驚き、ペニシリンの名は世界にとどろきました。フローリーは1945年ノーベル賞を受賞しますが、フレミング先生が最初にペニシリンのきっかけを作ってくれた、フレミング先生なしでは受賞できないと、フレミングの同時ノーベル賞受賞を後押しし、自分の手柄を誇ることがなかったのです。フローリーは事あるごとにフレミングの事を褒めるものだから、ペニシリンを作ったのはフレミングという事が広まっていったのです。こういったところを見ても、フローリーは人間として立派な人だったことがわかりますね。




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